子供の死を実感する瞬間

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「お通夜に参列する子供たちがまるでお祭りに来ているかのように、はしゃいでいるんです」

 

皆さんは【お葬式】に参列したことはあるでしょうか?

「ある」という方は、その時の故人の年齢はおいくつだったでしょうか?

 

私が葬儀の現場で見た、子供の死を実感する瞬間を書きたいと思います。

葬儀の仕事をしていれば、おじいさんやおばあさんだけでなく、早産での赤ちゃんや子供、高校生、大学生の死とも向き合わなければいけません。

関わる葬儀業者の間でも「若いのにかわいそう」「ご両親の気持ちを考えるとつらい…」などの言葉が飛び交います。

けれども若い故人さんの場合、参列者も多いので葬儀社側の人間はバタバタと動き、今回の葬儀の故人が子供なのだと実感するタイミングはなかなかないのです。

実感とは実際に事物・情景に接したときに得られる感じであり、意識ではない。意識はしていても、ふとした瞬間に実感は訪れるものなのです。

 

サッカー少年の死

小学二年生のS君はサッカークラブに入り、元気に走り回る普通の男の子。

両親は晩婚で40代で授かった子供ということもあり、一人息子のS君を本当にかわいがって育てていました。

そんなS君が突然、難病にかかり、入院。

一度は体調も良くなり、退院もしましたが、再発してしまい、7歳という年齢で亡くなってしまいました。

 

S君を納棺(御体を棺の中におさめる)するときです。

当たり前ですが、成人した故人さんの葬儀の方が多いため、納棺=3,4人必要というイメージがついてしまっている葬儀社側。

いざS君の身体の横に並んだとき、その小ささに「…二人いれば大丈夫だね」という雰囲気になり、私と同僚の二人で納棺することになりました。

白いシーツに手を伸ばし、S君を持ち上げようと力を入れました。

すると、あまりの軽さに、ひょいっと手があがってしまい、驚きました。

身体に触れ、大きさや重さに触れたとき「こんなに小さい身体の子供が亡くなったんだ」と実感として、自分の中におちてきました。

 

お通夜が始まり、小学校の先生や生徒たち、サッカークラブの仲間たちなど150名近い人たちが参列しました。

子供たちは夜にみんなが集まるという非日常な特別性と、きれいな式場の飾りにお祭り感覚で走り回っていました。

参列した方々にはS君の思い出の品(写真やサッカーボール、入院中にサッカークラブのみんながくれた寄せ書き)を見ていただき、最後にはS君のご両親が希望したスライドショーを上映。

その後、参列者がS君の顔を見れるようにするため、棺を前に移動させ、棺の窓を開けました。

すると、参列している子供たちが少し騒がしくなりました。

その表情は興味と怖いもの見たさでウズウズとしている。

「お前が先に見ろよ」と言いながら押し合っている。

その姿をみたときに、またしても実感がストンと落ちてきました。

同級生が死んだという認識はできているが、まだ死に対して意識が幼い。

それは当たり前のことだが、自分自身がそんな当たり前を忘れていた。

お坊さんの読経を聞いていても意識が出来なかったものが、身体の重さを感じたときや小学生の死へのリアクションを見たときに、

まぎれもなく、小さい子供が亡くなったお葬式なんだと実感させられました。

 

実際に事物・情景に接したときに得られる【実感】

強く心に感じること。身にしみて感じる【痛感】

感じることはとても大事で、そのあとに実行に移すことはもっと重要です。

自分も葬儀の現場に立ち、毎回、【実感し】【遺族・故人にしてあげられることを考え】【行動】をしています。

故・相田みつをさんが「感動とは感じて動くと書くんだなあ 」と書いていたの思い出しました。

 

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