I live in my cosmic world.  vol.6 ~神様の領域~

高校3年生の3月、1個年下の友だちが亡くなった。

自殺だった。

その2ヶ月後の5月、母親のように想っていた唯一無二の尊敬する女性が、亡くなった。

自殺だった。

 

生きることがわかんなくなってしまったわたしは、その1ヶ月後、自らの命に手をかけた。

死ねなかった。

「死ねない絶望」も「生きることへの諦め」も生きてるから味わえるのだと気づいたのは、この日から4年が経ったつい最近。

 

死ねなかったわたしを慰めるためだけに、この4年間を生きてきた気がする。

それは重くて窮屈で、どうしようもないくらい苦しい時間だった。

自分の命に手をかけるということは、神様の領域を侵すことなのかもしれないと、何度も思った。

 

誰も裁いてくれない罪は、自分で裁いて償うしかない気がして、

ずっと亡くなった彼女たちのことも、

自分のことも、

許せなくて。

 

それでも、生きてきた。

生きることの業の深さを知りながら、

死に取りつかれ、

死に魅了されながら、

それでも生きてきた。

 
死にたくても死ねないことを受け止めたとき、

生きたくても生きられない自分と出会った。

 

まだまだわたしは人間なのだと気付いたとき、

命に手をかけることではなく、

「裁き」こそが神さまの領域なのだと、知った。

 

罪も罰も、神様のなせることなら、

わたしのできることは、

わたしのできることを必要としてくれるひと届けることだけだと、知った。

それが生きるってことなのかもしれないと、最近は思ってる。

 

 

ヒラタナオ。

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