奇習! 死んだ女を裸にして“撫で回す”漁師たち… 船上で繰り広げられた「最期の愛撫」=紀伊半島

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人は死ぬ。必ず死ぬ。絶対死ぬ。死は避けられない

――かつて、地下鉄サリン事件などで世人を恐怖に陥れたオウム真理教の教祖・麻原彰晃は、同教団の洗脳ビデオである

『バルドーの導き』の中で、そのようなナレーションを入れていたが、とかく人というのは、それが当たり前のことであるとわかっていても、

「いつか必ず死ぬ」ということについてさほどリアリティを感じなかったり、感じていたとしても逆に「見なかったこと」にしてしまいがちだ。

しかし、自分自身はともかく、それが最愛の人の死となると、否が応でも直視せざるを得ない。

特に、その臨終から葬儀へと至るプロセスは、その人物の「死」を、あまりにも生々しく体感させられるものである。

それゆえ、古今東西、実にさまざまな文化・文明において、「葬儀」という儀式は、多くの不思議な習慣や行為を伴うものであることがほとんどである。

「そうだねえ、今じゃとても大っぴらにできたことじゃないし、とてもできやしないことだと思うんだけどね……。それこそ私らなんかが子どもの頃までは、当たり前のようにやってたことなんだよ」

自らがかつて垣間見たという、その奇妙な葬儀についてこう語るのは、紀伊半島のとある海沿いの地域で生まれ育った槌谷敬三さん(仮名・81)

槌谷さんの話によると、彼が暮らした小さな漁師町では、女性が死ぬと、なんともおかしな形でその死を悼む習慣があったのだという。

「あのあたりじゃね、女がね、死ぬと、まず船の上で裸にしてみんなで拝むの。

あのあたりじゃ、男たちは大抵が漁師だからね、自分の船を持っているから、たとえば嫁さんが死ねば、その旦那の船でそれをやることになる」

夫や父親など身内の男性が持つ船の上で裸にされた女性の遺体は、船が港から沖に出るまでそのままにされ、

その間、すぐ近くを併走するように進む船にいる僧が、彼女のために読経を続けるという。

そして、船が沖のスポットへと辿り着くと一度船を止め、僧の読経が終わる頃合を見て、遺体を運ぶ船を動かす男が服を脱ぐ。そして、裸の遺体を裸で抱くのだという。

「裸で抱き合っても、別に何かをするというわけじゃくて(性交するというわけではなくて)、ただ慈しむように抱くというかね。自分も裸になって声を掛けながら、体を撫でたりするんだよ」

身内の男性による、そうした“最期の愛撫”ともいうべき行為がしばらく続けられた後、女性は男性によって死装束を着せられると、そのまま海へと投げ入れられるという。

無論、今となっては単なる死体遺棄となってしまうため、こうした行為は行われなくなったというが、地元の郷土史に詳しい人物によると、このなんとも奇異な海葬は16世紀初頭から行われていたとされるそうだ。

「まあ、そういう別れがね、良いかどうかは別にして、今じゃ誰しも焼き場でチンでしょ。時代が時代だからしょうがないんだろうけども、あれはなんだか寂しいよねぇ……」

ある意味、“おおらか”だった当時を振り返り、そうしみじみと語る槌谷さん。

それが妻にしろ、母にしろ、娘や姉妹にせよ、多くの男性にとって、最愛の女性との離別というのは、堪えがたい悲しみを与えるものだ。

そうした事情を考慮すれば、やはり槌谷さんの言う「焼き場でチン」以外の選択肢が、もう少し増えても良さそうなものなのだが……。読者諸兄は如何思われるだろうか。

 

出典:知的好奇心の扉 トカナ

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