北海道の葬儀習俗が種々様々な理由と過去実際に起こった幾つかのトラブル

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北海道の近現代の葬儀習俗は、全く様々なものであった。

なぜなら、当時の北海道では、様々な地域から移住した

「和人」(移民してきた本州以南出身の「日本人」と彼らの子孫)、

アイヌ民族の人々、数は少ないが西洋諸国出身者などが、文字通り入り乱れていたからである。

また、早くから都市化した地域と、それ以外の地域の

ライフスタイルの違いが大きかったことも、無視することはできない。

ちなみに和人の中には、移民した時点で以前からの菩提寺との関わりを絶っているケースもあった。

その場合、しばしば神社が“菩提寺”役となった。

■神社が菩提寺役を果たしていた
例えば、現在の北海道伊達市は、比較的新しい時代になるまで仏教寺院がなかった。

そのため、仏教寺院が建つまでは、早くに創建された鹿島神社が

この地域に移住した多くの人々の“菩提寺”役を務め、彼らの葬儀もそこの神職が司式した。

北海道の神式葬儀といえば、他にも例がある。

例えば、現在の奈良県十津川地域から移住した人々の中には、出雲大社に属する神道信者が多く、

彼らが集中して移住した新十津川地域では、神式葬儀が多かった。

なお、そうした神式葬の多い地域では、土葬が新しい時代になるまで一般的であった。

またアイヌ民族も、比較的近年まで土葬を行っていた。

それらの例もあり、近現代の北海道では、簡単にいうと、土葬と火葬が並行・混在して行われていたといえる。

■ヒグマによる食害
ただ、北海道での土葬には、ある深刻なトラブルがつきまとった。

ヒグマによる土葬された遺体の食害と、それとの関連も指摘される、生きた人間への襲撃である。

明治期には、こうした土葬された遺体の食害がしばしば報告された。

ただ、こうしたヒグマによる埋葬後の遺体の食害は、筆者の知る限りでは和人の墓地に限られており、

アイヌの人々の遺体がヒグマに食害されたという報告はないようである。

その理由は一つには、恐らくアイヌの人々は、長年の様々な経験から、

そうした遺体食害を防ぐ何らかの工夫を徹底して行っていたからではないだろうか。

■アイヌ民族の葬送慣習を誤解したことで起こったトラブル
また、アイヌ民族の伝統的な葬送準備を、和人が誤解してしまったことによるトラブルもあった。

例えば、アイヌ民族には高齢者、特に女性に寿命が近づくと、

「あの世で住む家」を建ててもらい、亡くなるまでそこに住むしきたりがあった。

そして亡くなってからその家を焼くと、故人となった居住者に届くとされるともされていた。

この習俗を近くに住む和人が誤解して、「親不孝だ」と決め付けてしまったことによる騒動が、1950年代後半に起きている。

この騒ぎの際には、アイヌ民族出身の民俗学者知里真志保が仲裁に出るほどであった。

私見になってしまうが、冠婚葬祭のしきたりの違いをめぐる誤解やトラブルを防ぐためにも、

民俗学や文化人類学、宗教学の専門家が、きちんと一般大衆に向けて情報を発信することの大切さを、実感せずにはいられない。

 

出典:NEWS CAFE

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