最後のさいごは、いい顔で。

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「うんと高いところから落ちて死にたい」

 

誰かと「どんな風に死にたいか」という話題になったとき、決まってそう答えてきました。

 

だって、気持ち良さそうだと思いませんか。

 

もう死ぬなら、命綱も、パラシュートだって不要。ビルよりも、飛行機よりもさらに高いところから「ひょっ」と、静かに飛び降りて、びゅんびゅんと風を切って落ちていく。

 

高いところからの景色が大好きだから、本当は悲しいはずの「死」も、その景色を浴びながらなら、楽しめるんじゃないかと、思っていました。

2

でも最近は少し、変わってきたんです。年を重ねて何人かの死に直面し、子どもの頃より、「死」が身近になったことも、関係しているかもしれませんね。

 

「うんと高いところから」なんて、幼子な発想ですもの。

 

今の私は、「死に方はあまり重要ではない」と考えるようになりました。それよりも大切にしているのが、「いい顔をして死にたい」ということ。

 

私の最後が、老衰か、病気か、災害か事故なのかは、分かりません。老衰で死にたいと言っても、今この瞬間に車が突っ込んできたら…。

3

「痛い、痛い」とうめきながら遠のいていく意識…その表情はもうどうしようもなく曇っていそうですよね。歯を食いしばって、眉間に皺を寄せて、握り拳さえ作っているかもしれません。

 

お通夜やお葬式では、祭壇に飾られた写真だけが笑って、棺に入った私の表情はとても暗く、痛そうなまま…。親戚や友達、大切な人たちがせっかくお別れに来てくれても、棺をのぞいた途端、もっと悲しくなるんじゃないでしょうか。

でも私は、別にみんなを悲しませたくはありません。どちらかといえば、最後のお別れぐらい、「みんなのおかげで人生が楽しかったよー!ハッピー!」と伝えたい。

 

だったらベストな方法はやっぱり、いい表情で棺に入ることだと思うんです。笑顔とか、ほほえみとか。どうしても無理なら、変顔でも。そっちの方が難しいかな。

 

私の死を悲しんでくれている人たちを、せめてその一瞬だけでも、ホッとさせたり、安心させたり、笑わせたりしたいんです。

 

だってお葬式って、参列者がどれだけ気を張って、涙を堪えながら、執り行ってくれると思いますか。少なくとも私が今まで参加したお葬式の多くは、そうでした。

 

泣き明かしたいはずの親族が、しっかりと参列者にお辞儀をし、参列者は丁寧な言葉遣いでお悔やみを申し、香典を渡し、時には思い出話で盛り上げ、笑い声を会場に響かせてくれる。

 

それらはすべて、死んでしまった人を送るために、です。どれだけ無理しているのでしょうか。だったら私だって、死ぬ直前の1秒ぐらいは踏ん張って、いい顔をしないと。

 

死ぬ直前にそういうことをするのは、大変だと思いますけどね。

 

だからもし、「死ぬ間際は走馬燈のように記憶が巡る」噂が本当なら、私は今のうちから、その走馬燈を「楽しい」や「ありがとう」「嬉しい」でいっぱいにしておきたいんです。

 

普段から「笑うこと」「楽しむこと」を心がけて生活しておけば、死ぬ直前で笑うのもたやすそうでしょう。

 

最後のさいごに、いい顔をして死ぬために。

私は人生のぜんぶを、「いい顔」で過ごせるように生きているのです。

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